牧野アンナ/瞳は元気なブルースカイ
どうなんでしょう・・・?
一般的には、アンナってドラクエの歌を歌っていた人・・・
アムロちゃんとデビュー当時、スーパーモンキーズとして踊っていた人・・・
沖縄アクターズスクールのインストラクター・・・
と、どの印象が一番強いんでしょう・・・
実は、アンナさんの九州親衛隊の隊長をやってたんです。
丁度、僕が、こっちの活動が忙しくなって、とうとう高校を辞め、社会人となってから、一番最初に受け持ったアイドルが牧野アンナちゃんでした。
経緯は、前年に、同じ系列の会社だった森恵を相当熱心に応援していて、アポロンの宣伝の宇都宮さんからも、信頼をもって接していただいた頃、丁度、「うちから大型新人がデビューするから、やってよ」って頼まれて、親衛隊を結成する運びとなったんです。
社内で行われた「LoveSong探して」の試聴会にも同席しました。
その時は、写真映りが高見恭子似だね!なんて言われてました(笑)
なんせ、当初、シングルを年内4枚にアルバムも1枚リリースする年内計画でしたから、レコード会社挙げての大プッシュでした。
丁度、この年に不運にも、系列のレコード会社SMSが年内いっぱいで閉鎖になってしまいましたから、この煽りの多少あったのでしょう。
そう言えば、吉川晃司で有名なSMSレコードですが、このSMSの略をサウンドマーケッテイングシステム・・・
って知らなかった頃、
アポロンの社内で質問したんです・・・
何の略ですか?・・・って
そしたら、社内男性スタッフ全員が、
「スケベでもっとスケベ・・・の略だよ!」(爆)
って言うんです^^
もちろん、冗談ですけどね、アットホームなレコード会社でしょ。^^
普段、演歌を中心にやっているレコード会社でしたから、プロモーションの底力と強面加減は(笑)
他社に負けない何かがありましたね!
話が、社内の方にそれてしまいましたが、
アンナが沖縄アクターズスクールで、先生としてがんばっているニュースを知った時は嬉しかったですね!
いつもね、歌前とか、ほんとうに、緊張してビクビクしている印象でしたから、若くして上京し、それはそれは不安でいっぱいだった事でしょう~
この歌を歌っている衣装は遠くから見てると、姿がのりピーに似てたんですよ!間違えるくらい
よく、イベントでも一緒になってましたし・・・
結局、シングル4枚どころか、この曲を秋口まで歌って、それ以降は、またデビュー曲の方を歌わされていました。
初応援後、アポロンの宇都宮さんつてに「アンナが気にかけてたよ、背の高い白いジャンパーの人って・・・」
言ってくれたのは、すごく嬉しい思い出です^^
最初から、歌のセンスがアイドル歌手というより、J-popでしたね!
この曲もサウンドのベースはロックだし。
そう考えると、未来系沖縄ミュージックの先駆け・・・というエッセンスがふんだんに含まれた歌手だったという訳で、どちらにしても90年代センスだったように思います。
「私は裏方向きなんだと思った・・・」というTVコメントが本人をより強くさせてくれたような気がしました。
無事、ご結婚もなされたようですね・・・(祝)
良かった、良かった^^

1987年作品/アポロン


アポロン社内にて。

牧野アンナ初対面時のサイン(博多どんたく、新人まつりにて)
一般的には、アンナってドラクエの歌を歌っていた人・・・
アムロちゃんとデビュー当時、スーパーモンキーズとして踊っていた人・・・
沖縄アクターズスクールのインストラクター・・・
と、どの印象が一番強いんでしょう・・・
実は、アンナさんの九州親衛隊の隊長をやってたんです。
丁度、僕が、こっちの活動が忙しくなって、とうとう高校を辞め、社会人となってから、一番最初に受け持ったアイドルが牧野アンナちゃんでした。
経緯は、前年に、同じ系列の会社だった森恵を相当熱心に応援していて、アポロンの宣伝の宇都宮さんからも、信頼をもって接していただいた頃、丁度、「うちから大型新人がデビューするから、やってよ」って頼まれて、親衛隊を結成する運びとなったんです。
社内で行われた「LoveSong探して」の試聴会にも同席しました。
その時は、写真映りが高見恭子似だね!なんて言われてました(笑)
なんせ、当初、シングルを年内4枚にアルバムも1枚リリースする年内計画でしたから、レコード会社挙げての大プッシュでした。
丁度、この年に不運にも、系列のレコード会社SMSが年内いっぱいで閉鎖になってしまいましたから、この煽りの多少あったのでしょう。
そう言えば、吉川晃司で有名なSMSレコードですが、このSMSの略をサウンドマーケッテイングシステム・・・
って知らなかった頃、
アポロンの社内で質問したんです・・・
何の略ですか?・・・って
そしたら、社内男性スタッフ全員が、
「スケベでもっとスケベ・・・の略だよ!」(爆)
って言うんです^^
もちろん、冗談ですけどね、アットホームなレコード会社でしょ。^^
普段、演歌を中心にやっているレコード会社でしたから、プロモーションの底力と強面加減は(笑)
他社に負けない何かがありましたね!
話が、社内の方にそれてしまいましたが、
アンナが沖縄アクターズスクールで、先生としてがんばっているニュースを知った時は嬉しかったですね!
いつもね、歌前とか、ほんとうに、緊張してビクビクしている印象でしたから、若くして上京し、それはそれは不安でいっぱいだった事でしょう~
この歌を歌っている衣装は遠くから見てると、姿がのりピーに似てたんですよ!間違えるくらい
よく、イベントでも一緒になってましたし・・・
結局、シングル4枚どころか、この曲を秋口まで歌って、それ以降は、またデビュー曲の方を歌わされていました。
初応援後、アポロンの宇都宮さんつてに「アンナが気にかけてたよ、背の高い白いジャンパーの人って・・・」
言ってくれたのは、すごく嬉しい思い出です^^
最初から、歌のセンスがアイドル歌手というより、J-popでしたね!
この曲もサウンドのベースはロックだし。
そう考えると、未来系沖縄ミュージックの先駆け・・・というエッセンスがふんだんに含まれた歌手だったという訳で、どちらにしても90年代センスだったように思います。
「私は裏方向きなんだと思った・・・」というTVコメントが本人をより強くさせてくれたような気がしました。
無事、ご結婚もなされたようですね・・・(祝)
良かった、良かった^^

1987年作品/アポロン


アポロン社内にて。

牧野アンナ初対面時のサイン(博多どんたく、新人まつりにて)
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