それいけ!ディープ歌謡曲

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We love KOBE~平松愛理

2015.01.17.Sat.00:36
今日は、1,17.

今日は、神戸に初めて行った時の事でも、少しだけ綴ってみたいと思います。

初めて神戸へ行ったのは、1991年10月。だった、と記憶しています。

その前の月の9月に突然、神戸に行けるチャンスが訪れ、「旅費を出してもらえる」という事もあり、即答で、行く決心をしました。
宿泊先は、板宿という所だったと思います。

大阪へ初めて行ったのが、96年の事ですので、僕にとっては、大好きな大阪より、神戸デビューの方が先だったんです^^

神戸へは、確か3泊だったと思いますが、新神戸で降りて、地下鉄に乗って、三宮で降りて、街をぶらりとしたのですが、印象としては、異国の地を歩いているような気分でした。あと、とにかく歩いて観れる場所が多いとこだな~と思いましたね。

当時の神戸は、あか抜けた町並みの中でも、レトロな雰囲気をあちらこちらに、残しているようなレトロモダンテイストたっぷりの街だった・・という印象でした。

食べた食事の中では、明石焼?!(笑)と、肉まんの印象が一番強かったです^^
肉まんに辛子を塗って食べるという習慣も、この街で覚えました(笑)

 
神戸は、当時よく聴いていた平松愛理さんの出身地という事もあり、その事だけで、神戸到着するなり、気分は、
わぁ~同じ空気を吸っているんだ~なんて、思って、ヘッドホーン片手に1人盛り上がっていた事も、覚えています^^

当時は、「虹がきらい」というシングルがヒット中の頃だったので、この曲の思い出と、=神戸がリンクしていて、今でも、平松さんのシングルの中では、時に思い入れのある曲です。
実は、その後、「アイドルPOPS80-90」の著者、板橋純さんと話した時に、板橋さんも平松さんの曲で「虹がきらい」が時に大好き・・・という事が判明、嬉しくなった思い出があります^^

それから、数年後、震災が起き、神戸の街は、すごいスピードで、復興を目指しました。
それでも、やはり、中心部を離れた場所だと、当時のまま、となったいる地域もあると聞きます。

震災を当時、小学生時代に経験したという友人や知人などに当時の話を聞くと、震災後も、恐怖で眠れない日が続いたり、突然、恐怖に襲われてしまったり、という事を複数から聞きます。
地震が落ち着いて、建物が復興しても、お金や形では、復興できない事もあるんですよね・・・

だけど、僕の思い込みかもしれませんが、震災を経験した若い世代の人達は、人や物に対して、人一倍すごく愛情を持って、県外者に対しても接してくれているような気がします。
震災での経験があったからでしょうか・・・

震災後、神戸へも足を運びました。
みちがえるような、震災前にも増す、ナイトスポットの輝きとハーバーライトに酔いしれてしまい、つい、うっとり。
しかし、震災前の神戸の町並みを、91年に神戸へ行くチャンスを与えてもらえた事で、知る事が出来たこと、それが、なぜか誇りにも思える今日この頃です・・・

ほんとうは、ここで平松愛理さん目線で作られた復興ソング、復興の祈りを込め、作られた「南町から」を聴いていただきたかったのですが、サイトに無かったので、「美し都」をBGMとしてリンクしたいと思います。
もし、機会がありましたら、「南町から」は、アルバム「Reborn」の最後に収録されていますので、個々で聴かれてみてください。


「美し都」(神戸復興キャンペーンソング)
https://www.youtube.com/watch?v=e84jTxGg3I8


「虹がきらい」(91年、思い出の曲)
https://www.youtube.com/watch?v=SgsdT1f7zEs


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コメント

ニシワキシさん
ニシワキシさん、どうもです。

1,17の朝、神戸の方を向かって、黙祷しました。

ニシワキシさん、板宿のそばだったんですねー。
もう、あのあたりも変わってしまっているんでしょうね。
なんせ、23年も経過していますから・・・
また、行ってみたいです。

長田という地区は、メディアを通しても、震災によって、かなり有名になりましたよね。
そうなんですよね、TVで観ていると、震災被害の迫力は伝わってくるのですが、現場だともっと、煙りや灰の、独特のニオイや、けむたさで息苦しくなってくるんですよね。
ほんとうに大変だっただろうなと思います。

娯楽が無いというのも、納得です。
それに、災害の情報は欲しいんだけど、それを、ずーって観ていると、人によっては、気分が悪くなってしまったりと、、、
そういう時に、朝ドラ等の番組での、気分転換は、とてもありがたいものですね。

95年は、SMAPもよく「がんばりましょう」を歌っていましたね♪

笠原弘子さんの「空へ」は、未聴ですが、ジャケットだけ記憶しています。
彼女の声は、ほんとうにあくが無いですよね。

今度、神戸へ行く時は、予めリサーチして、復興ゆかりの場所や公園なども巡ってみたいと思います。
こんにちは!
板宿は僕の住んでいる長田のとなりなのでよく知ってます!
そして長田は一番被害の大きかった地域で、僕の住んでいるところは山の手のほうだったのでまだ被害は浅かったのですが、でもやっぱり被害は大きく火事の煤やほこりで毎日真っ黒でした。
娯楽がなく(テレビも震災特集ばっかりで楽しめるものもなく、、こういうとき震災のことも大切なんですけど、普段の通りのテレビ番組をやってくれてたほうが1被災者としてありがたいです。その時の震災番組ばかりのなか朝ドラの「春よ来い」はとてもありがたかったです。)
音楽が心のよりどころで当時はSMAPやZARD、森高さんなど普段聴かなかったアーティストさんのCDをレンタルしてはよく聴いていたものです。
そのころよく聴いてたのが笠原弘子さんの「空へ」で優しい声とメロディにいやされました。
平松さんのこの美し都も所謂応援歌ではなくゆったりとした神戸の海を思い出すような楽曲で「もう笑うしかない」とか「Single is best!?」みたいなセメる曲のイメージだったので阿久悠さんの歌詞を含め驚いたと同時にいい曲だなあ、、と思いました。
残念ながらヒットはしませんでしたし、震災の話題になってもこの曲が流れることはないのですが、いつまでも心に残る楽曲です。

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