それいけ!ディープ歌謡曲

スポンサーサイト

--.--.--.--.--:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

甲斐智枝美/マーマレード気分

2014.02.07.Fri.02:13
マーマレード
・1980年12月作品
・ビクター

1980年度のラストを飾る、王道のアイドルポップスここにあり・・・

12月という真冬のリリースながら、気分は、すっかり春。^^

「スタア」のチェミイが帰ってきた!
やっぱりチェミイは、これで無くっちゃ!!^^
との、呼び声も高い、理想的な80sアイドルポップスでしたね。
ちなみに、地元大牟田市では・・・誰もチェミイなんて呼んでませんでしたからねー(笑)
ねっ!智枝美ちゃん^^

理想的・・・と言えば、この曲は、親衛隊向きの楽曲で、コールが入れやすい所もポイント!

当時、親衛隊にとって、一番の課題、難題?は、というと・・・
コールをどれだけ上手に、はめ込み安い曲か、そうでないか、、、
も大事な問題点でした^^

いくら、応援の数が多くても、沢山コールを入れられなくては、応援もパワーが届かないんです。
最低、統制はイントロで2回から3回は入れたい、サビ前には、手拍子と同時にジャンプする演出も加えたい。

そう言った親衛隊のパフォーマンスであり、欲求を全て満たしてくれた作品が、この「マーマレード気分」。
だったと思います。

非常に誰にでも、コールし安い、曲展開、構成で作られていますよね。

当時は、親衛隊がコールし安いか、どうか?まで考慮して作られた作品も、けっこう多く、
それだけ、親衛隊にも市民権が有った時代だったという訳なんですよね。

特に、ホリプロさんは、そのヘン、しっかりと考えてあった会社だったと思います。

昔~・・・「フリージアの少年」や「プラスティック」あと、真璃子の曲でコールをやった時、やり辛い事、やり辛い事・・・
トホホでした・・・(苦笑)

あれ、今、この曲、改めて聴くとイントロとノリが「チェリーブラッサム」に似てるな~^^
スポンサーサイト

甲斐智枝美/踊り子

2013.06.15.Sat.01:10
作品的には「スタア」を載せたかったのですが、ここはディープ歌謡のブログですので、あえて「踊り子」を選びました。
もう発売の時は驚きでした!いったい何が起こったのか・・・さっぱり理解できない時期もありました。

智枝美さんと僕は、同じ大牟田市出身なんです。

もう、それは、それは「スタア」が発売された時は、凄かったのなんのって・・・
町挙げて、スタアを出すぞー!って盛り上がりでした。

なんせ、大牟田市の商工会のバックアップと、智枝美さんの当時の住まいが繁華街から近かった事もあって、レコード店のみならず、商店街に1枚1枚ポスターが貼りだされたりと、後にも先にも大牟田市から出た歌手の中では、一番の売り出し方でした。

今の時代は、けっこう薄れてきましたが、当時は、どの歌手も、まずは地元でどれだけレコードを売る事が大切か?・・・が勝負の時代でしたから。
その甲斐もあって、市内どこのレコード店に行っても、エサ箱の上にディスプレイされている、当店今週のランキングのベスト10に入っていましたね。「スタア」が・・・
また、となりの久留米市は松田聖子さんの地盤でしたから、久留米では聖子さんが盛り上がっていました。

智枝美さんの新曲が発売されると、毎回のように松屋という大牟田一のデパートでサイン会が行われ、大スターの扱いでしたから。
地元で、これだけ盛り上がっていて新人賞レースでノミネートできなかった時は、相当、悔しかったそうです。

もう、ここを呼んでらっしゃる方にはご存知だと思いますが、デビューが1年先輩で同じ、大牟田市出身の井上望さんとはデビュー前からの知り合いで、智枝美さんも「私も望さんみたいに新人賞がんばります!」宣言されてたんです。ところが・・・

「初めての賞レースで、同じ日にデビューした子がノミネートした時は、もう悔しくて、悔しくて・・・」と
語っており、九州女の意地と負けず嫌いさを、伺わせていました・・・
IMG_2720.jpg


実は、ホリプロで智枝美さんの年だけなんですよね、スカウトキャラバン優勝者を賞レースに優先しなかった年って・・・事務所としては比企理恵さんでは、なく賞レースは智枝美さん優先で行こう!だった訳ですから。
これには、松村和子さんの予想以上のヒットで番狂わせだった点もあるようです。レコード会社的には・・・
悔しかった気持ちはわかります。

「踊り子」を発売された、後の出来事なんですが、うちの母が当時、働いていた会員制クラブの、お客さんとして智枝美さんのお父さんがいらっしゃってました。
智枝美さんのお父さんは炭鉱マン。実は、うちの両親の母方も父方も親も炭鉱マンでして、大牟田という町は、かつて炭鉱によって栄えられた町という訳なのです。

だから、井上望さんだって智枝美さんだって炭鉱が創りだしたアイドルといってもおかしくはないでしょう。
智枝美さんのお父さんは智枝美さんに凄く厳しく、お店でも「この前、智枝美が帰ってきたけど、びんたして説教してやった」なんて話も飛び出したり、相当、厳しくあまり笑顔だって見せないそんなタイプの方だったようです


しかし、周囲からすれば、いつも智枝美さんの活動の話をされながら楽しく飲まれいたそうです。智枝美さんは自慢の娘。そしていつも、心に智枝美さんの事、心配されていたようです・・・

全く、曲意外の話になってしまいましたが、「踊り子」は、その後、智枝美さんが女優としてやってゆく覚悟さえ感じさせた本気の作品でしたね。
 
「スタア」から「踊り子」へ智枝美さんのドラマチックな歌の世界リスペクトします。

甲斐智枝美さん、ありがとうございました。
大牟田市民にとって、智枝美さんは、今でも素敵な思い出です。
智枝美さんは、やっぱり「スタア」でしたね。^^
IMG_0205.jpg
1982年作品/ビクター








 | HOME | 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。